白井亨(しらいとおる)

~滋賀県大津市 学びの多い県庁所在地編~

2025.01.07

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

初めて都道府県名を覚える子どもたちが「ややこしいなぁ」と思う地方が2つあります。
まず1つ目は中国・四国地方です。島根県松江市、香川県高松市、愛媛県松山市と、「松」が使われている地名が3つあるので、「松江? 松山?? どっち???」というように、ごっちゃになってしまうことがあるようです。
もう1つが近畿地方です。滋賀県大津市、三重県津市…どちらも「津」が使われているため、これもどっちがどっちだかわからなくなることがあるようですね。

今回はその大津市を訪ねてきました。

まずはその位置から確かめてみましょう。大津市は琵琶湖の南部にある、人口約34万5千人の都市です。西側に隣接するのが京都市で、それぞれの市役所の間は、直線距離でおよそ10km足らずしか離れておらず、47都道府県のうち最も距離が近い都道府県庁所在地どうしになっています。JR京都線の電車に乗れば、大津から京都まではたった2駅、10分程度しかかかりません。
そんな位置関係のためか、日本を代表する寺院の1つである比叡山延暦寺は京都にあると思っている人が多いようです。世界遺産「古都京都の文化財」を構成する寺社の1つになっていることもその原因かもしれませんが、根本中堂を始めとする延暦寺の主要な建物は大津市にあるのです。

さて、JR京都線の下り電車に乗って大津駅に降り立った私は、改札を出ずに上り線のホームの端までやってきました。大津駅1・2番線の京都寄りにあるのが下の写真の〝北緯35度線モニュメント〟です。

北緯35度線は中学入試でも出題されることのある緯線で、千葉県南房総市、静岡県静岡市などを通過し、島根県江津ごうつ市付近で日本海に抜けていきます。もちろん、大津市と隣接する京都市も通過しています。受験生のみなさんは、ぜひ地図帳を使って指差し確認をしておくといいでしょう。

モニュメントを写真に収めてホームを引き返し、大津駅の改札を出てまず思ったことは、「何もない…」ということでした。周囲を見渡しても店舗らしきものはほとんど見当たらず、道行く人もあまり多くないようです。地図で確認したところ、駅前にあるのは滋賀県庁や地方裁判所、NHKの放送局や銀行ばかりでした。そういえば、大津駅は平日の利用者数と土休日の利用者数に大きな差があるという記事を読んだことを思い出しました。訪れたのが平日の午前10時過ぎだったためにあまり人がおらず、ちょっとさびしい印象を受けたのでしょうね。おそらく通勤時間帯の駅前はもっと賑わっているのでしょう。駅のコンビニもレジに行列ができているかもしれません。周囲に店が少ないのは、仕事終わりに食事や買い物をしようと思ったら、ちょっと電車に乗って京都まで行けばいいからでしょう。京都ならばいろいろな店がありそうですよね。

さて、街歩きを始めましょう。
駅前からは、県庁所在地らしく広くまっすぐな道が伸びています。この道はすぐに下り坂になり、その先には琵琶湖が見えます。この坂を下り切ったあたりで交わる道が旧東海道です。以前のブログ(東京都港区・品川区 品川の〝最初〟編)で、東海道の1つめの宿場だった品川宿を紹介しましたが、この大津宿は東海道の53番目の宿場でした。つまり、東海道五十三次最後の宿場がこの大津だったのです。さほど広くない道には、下の写真のような古い建物もあり、昔の宿場町の風情が感じられます。江戸から長い旅をしてきた旅人たちはここで一息ついて、「もうひと頑張り…」と旅立っていったのかもしれませんね。

大津の地名の由来ですが、「津」の字は「港」を表すので、大津は「大きな港」なのです。輸送の主役が船だった時代、琵琶湖は重要な輸送路でした。そして都のあった京都に近い大津は、水運と陸運の中継地として、とても賑わっていたのだそうです。現在でも、地震などの災害時には、琵琶湖を使って人や物資を輸送する計画ができているようです。昔も今も滋賀県の人たちにとって、琵琶湖は切っても切り離せないものだということでしょう。
ちなみに最初の都道府県庁所在地の覚え方ですが、私は「滋賀県は都のある京都の隣にあって大事な港=津だから大津だよ」と教えています。

ところで、大津と京都の間には比叡山から続く山が立ちはだかっているのですが、この山越えは輸送の支障にはならなかったのでしょうか?
自動車のなかった時代、荷物を運ぶ手段としては、人が背負って運ぶ、人が引く荷車にのせて運ぶ、馬の背に乗せて運ぶといった方法がありました。しかし、これらの方法では一度に多くの物資を運ぶことはできません。より多くのものを運ぶには牛に引かせた車を使用するのがいいのですが、舗装されていない道を進むのは難しく、特に雨でぬかるんだときは通行ができなかったことでしょう。
そこで使われたのが下の写真の〝車石〟です。
江戸時代の大津~京都間は、車石の敷かれた物資用の道と、徒歩で行く旅人のための道の2車線になっていたそうです。写真を見ると、石の真ん中に溝があるのがわかりますよね。これは最初から設けられていたわけではなく、多くの牛車が通過したことによってできたものだそうです。このようなものができるほど多くの物資が運ばれたのだということで、大津から京都への東海道が輸送の大動脈だったということのあかしでしょう。

大津は、近代史の舞台にもなっています。
1891年5月11日、大津宿を通りかかったロシア帝国皇太子ニコライ2世が、その警備にあたっていた警察官に斬りつけられて負傷しました。これを大津事件といいます。当時の日本とロシアの国力の差は歴然としており、日本国中が「この事件をきっかけにロシアが攻めて来るのでは?」とパニックになったそうです。政府もロシアへの誠意を見せることが最善と考え、裁判所に対して犯人を死刑とする判決を出すように圧力をかけます。しかし、当時の日本には、皇室に対して危害を加えたときには死刑とする法律はあったのですが、外国の要人に対しての法は存在しませんでした。大審院院長(現在の最高裁判所長官)だった児島惟謙こじまいけんは、法は遵守じゅんしゅすべきであるという立場から政府の圧力に屈せず、犯人に対し死刑判決を出さなかったのです。大津事件は、現在の民主主義国家ではあたりまえとなっている「司法権の独立」を守り、「三権分立」の考えを日本に根づかせるきっかけとなりました。このことがテキストに載っているのですが、それは裁判所の仕事や三権分立を学ぶ、いわゆる公民分野のページです。地理と歴史だけでなく、大津は公民でも取り上げられているんですね。
大津事件での司法の姿勢は欧米諸国からも高く評価され、その後の不平等条約改正の一因になったともいわれています。事件のあったとされる場所には、下の写真の石碑が建てられていました。

ここからさらに東海道を西へ向かい、商店街を抜けて今度は琵琶湖方面に歩を進めていきました。目的地は三井寺(園城寺おんじょうじ)だったのですが、その途中にあったのが琵琶湖疏水です。明治時代につくられたこの水路は琵琶湖の水を京都市内へ引くためのもので、その取水口が大津にあるのです。

明治時代初期、首都が東京へ移った京都の人口は減少し、町の活気もなくなっていったそうです。そこで、京都の産業を再興させるために、上水道の水源や船の水路をして建設されたのが琵琶湖疏水でした。また、この水を使って水力発電もおこなわれるようになり、この電力を使って京都市内には路面電車も走るようになりました。ちなみにこの路面電車は、日本で初めて電気を動力として走行した鉄道でした。今ではあたりまえになっている電車にも、大津の町が関わっていたのですね。

「何もない」という第一印象だった大津ですが、こうして街歩きをしてみるといろいろと趣深いものに巡り合うことができ、なんだかとても魅力的なところに思えてきました。

三井寺で、国宝の本堂などを見学した後は、琵琶湖に面したびわ湖浜大津駅に戻ってきました。ここから電車に乗って京都市内へ向かいます。そして、最後に紹介したいのがこの京阪京津けいしん線なのです。
びわ湖浜大津駅を出た電車は、広い交差点を90度左に曲がって道路の真ん中に入ります。この交差点を曲がるところがおもしろくて、乗る電車を数本遅らせてその様子を眺めていました。そのまましばらくの間道路上を走行するのですが、その様子を撮ったのが下の写真です。広島市などに少し長めの路面電車が走行していますが、見ての通り明らかに路面電車とは異なる普通の4両編成の電車が道路上を走行するのです。横を走るタクシーを比べてみてもその大きさがわかると思いますが、なかなか見ごたえのある光景です。

700mほど道路上を走行した後専用の線路に入るのですが、ここから先はまるで登山電車のような急坂と急カーブが続く区間となります。京津線のルートは旧東海道に沿うようになっているので、山越えをしなければならないのです。電車に乗っていてもわかるくらいの急坂を上り、およそ90度のカーブを曲がってトンネルに入って峠を越え、今度は下り坂になります。その坂の途中にある大谷駅で撮ったのが下の写真です。
左右の脚の長さを比べてみてください。明らかにその長さが違うことがわかると思います。それだけこの駅のホームは傾いているんです。この駅は、ケーブルカーなどの特殊なものを除いては、日本一傾きが急な駅だそうです。この駅があるのも大津市内なんですよ。もし大津を訪れるときがあったら、少し足を延ばしてみてもいいのではないでしょうか。ちなみに、先ほどの写真の〝車石〟もこの駅の近くにあります。

坂を下り切った電車は京都市内へ入っていきます。JRとの乗り換え駅となっている山科駅を過ぎると、なんとこの電車、地下へと入っていくのです。つまりこの路線は、大津市の市街地を路面電車、滋賀・京都の府県境を登山電車、京都市の市街地は地下鉄というように、3つの姿を持つ鉄道なのです。こんな電車、おそらくほかにはないでしょう。

京都は多くの人が訪れる有名観光地です。市内にもたくさんの名所・旧跡があり、それだけでも十分に楽しめると思います。でも、少しだけ行動範囲を広げてみるというのはいかがでしょうか? 京津線を楽しみながら大津に向かい、〝学び〟を楽しみながら散策してみるというのも、なかなか素敵な観光コースだと思いますよ。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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