白井亨(しらいとおる)

~東京都足立区 目の前なのに違う駅編~

2024.10.25

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

東京都足立区にある北千住駅は、JR常磐線、東京メトロ千代田線と日比谷線、東武スカイツリーライン、つくばエクスプレスの計5路線が乗り入れる首都圏有数のターミナル駅で、その利用者数は新宿駅、渋谷駅、池袋駅に次いで都内第4位なんだそうです。

そんな巨大ターミナル北千住を象徴するものが、駅の南側にある下の写真の踏切です。この踏切は〝大踏切〟と呼ばれており、ここを通る道路にも大踏切通りという名がつけられていました。手前側のタクシーが渡ろうとしているのが東武スカイツリーライン、その奥の遮断機が下りているのがJR常磐線、坂を上っているのが東京メトロ日比谷線、さらにその上をつくばエクスプレスが通っています。東武線も常磐線も多くの列車が走っている路線ですから、朝夕の通勤時間帯などは、遮断機の下りている時間はとんでもなく長いはずです。日々ここを通らなければならない人たちはストレスが溜まるでしょうね。

さて、そんな北千住駅の隣に牛田駅という駅があります。
この駅は東武スカイツリーラインの駅ですが、鬼怒川や日光方面の特急電車や地下鉄半蔵門線への直通電車はすべて通過してしまいます。日中は浅草と北千住の間を結ぶ6両編成の各駅停車が10分に1本の間隔で来るだけの小さな駅です。

上の写真は、牛田駅の改札内から撮ったものなのですが、道路の向こう側にもう1つ駅が見えるのがわかるでしょうか? この駅は京成電鉄の京成関屋駅です。この2つの駅、目の前にあるにも関わらずまったく異なる駅名がついているのです。

ほぼ同じ場所に異なる鉄道会社の駅がある場合、その駅名の前に会社の名を付けるというケースはよく見受けられます。例えば、JR川崎駅に隣接した京急川崎駅や、JR上野駅に隣接した京成上野駅などがその例となり、このような組み合わせの駅があった場合、乗り換えは比較的容易にできることが多いですね。
ただし、同じ地名がついているにも関わらず、乗り換えをするのが少し難しい駅というのも存在します。例えば、千葉県習志野市のJR津田沼駅と京成津田沼駅の間は1㎞ほど離れており、15分程歩かないとたどり着けません。1㎞ならば歩けない距離ではありませんが、東京都立川市にあるJR立川駅と西武立川駅は直線距離で約5㎞も離れています。なんで同じ名を付けたのか不思議なくらいです。

ついでなのでもう1つ。ほぼ同じ地域にある同じ駅名であるにも関わらず、とんでもなく離れたところに位置していることで知られているのが足柄駅です。1つは小田急線、もう1つはJR御殿場線の駅となっていますが、下の地図でもわかる通り、直線距離でもおよそ17㎞も離れています。しかも、その間には箱根の山々がそびえており、徒歩で移動するには山を迂回しなければなりません。調べてみたところ、なんとその移動時間はおよそ6時間半!
これはさすがに無理だろうと思っていたのですが、実際に足柄駅から足柄駅への乗り換えを実行した人の記事や動画が複数ありました。世の中には物好きな人もいるんですね…。

話をもとに戻しましょう。
目の前にあるわけですから、普通ならば東武牛田と京成牛田あるいは京成関屋と東武関屋になるはずです。利用客にとってもその方がわかりやすいですよね。なぜこのようになっているのか、これは「?」ですね。

それではまず、2つの鉄道の歴史について見ていきましょう。
両線の起点駅は、東武鉄道が浅草駅、京成電鉄が京成上野駅となっていますが、かつては東武鉄道が業平橋駅(現在の東京スカイツリー駅)、京成電鉄が押上駅と、どちらも現在の東京スカイツリー付近にあった駅を起点としていました。隅田川の東にある両駅から都心に向かうには、当時東京中に路線網があった都電に乗り継ぐ必要があり、利用客にとっては少々不便を強いられる状態でした。何とかして都心への乗り入れを実現したい2つの鉄道がともに目をつけたのは、隅田川を越えたところにある、当時有数の繁華街だった浅草でした。浅草乗り入れをめぐって両社の熾烈しれつな争いがくり広げられたのですが、結局乗り入れを果たしたのは東武鉄道でした。以来、浅草駅は東武鉄道のターミナルとなったのです。

浅草でのターミナル獲得競争に敗れた京成電鉄は、日暮里駅を経由して上野駅に向かう路線の免許を取得します。ただ、このルートは当時の京成電鉄の路線から離れており、京成は新たに支線を建設することになったのです。これが現在の京成本線で、この路線の開通に際してできたのが京成関屋駅でした。下の地図を見ると、京成線も浅草を通って上野に至ることができそうですが、繁華街で人口も多かった浅草の町中を抜けて鉄道を通すことはできなかったのでしょうね。現在の東武線も隅田川を渡るとほぼ直角にカーブし、川に沿ってつくられた浅草駅に進入します。これも浅草の町中に駅をつくることが困難だったということが理由でしょう。

2つの鉄道の歴史を踏まえた上で、今度は牛田駅・京成関屋駅付近の地図を確認してみましょう。下の地図を見て、何か気づくことはないでしょうか?

まず、東武線と京成線の線路を辿たどってみてください。京成線は東西方向に通っており、両隣には堀切ほりきり菖蒲園しょうぶえん駅と千住大橋駅があります。一方の東武線は少々くねくねとしながら南北方向に通っており、両隣には北千住駅と堀切駅があります。それぞれの駅と駅の間を比べてみてください。京成線に比べると東武線の両駅の間の距離がかなり短くなっているのがわかると思います。しかも、牛田駅ができた当時には、先ほどの大踏切の南側に中千住駅という駅があり、両駅の間は現在よりもさらに近かったのです。
今度は地名に注目してみましょう。京成関屋駅の南東に千住関屋町という地名が確認できます。京成線の駅名はこの地名が由来となってつけられたのでしょう。ところが、どこを探しても牛田という地名が見当たらないのです。どうやら江戸時代にはこのあたりに牛田という地名があったらしいのですが、わざわざそんな古い地名を持ち出してくるのも不自然な感じがしますね。
地図からわかるこの2つのことが、異なる駅名の「?」を解くカギになるようです。

1902年、まず始めにこの地域に鉄道を開通させたのは東武鉄道でした。この頃の地図を見ると、牛田駅は存在せず、北千住駅の隣の駅は堀切駅の次の駅となる鐘ヶ淵かねがふち駅でした。もちろん京成電鉄の路線はまだ通っていません。牛田駅があるあたりには水田が広がっており、ここに駅を設置する必要はなさそうです。1930年代の地図を見ると、線路の北側を中心に住宅地が広がってきており、中千住駅と堀切駅も設置されています。

1931年、日暮里や上野に至る路線を開通させた京成電鉄は、この地域に京成関屋駅を設置します。先ほどの地図を見ればわかると思いますが、京成関屋駅はちょうど東武線の駅がない中千住と堀切の中間地点に置かれたのです。ここに駅をつくることで、それまで堀切駅や中千住駅まで歩いて東武線を利用していた客を奪おうとしたのでしょうね。もちろん東武鉄道としてもこれを見過ごすわけにはいきません。翌1932年、東武鉄道は牛田駅を開設します。江戸時代の地名を持ってきてまであえて異なる駅名にしたのは、それまでライバルとして争いを繰り広げてきた京成電鉄への対抗心ではないかと思います。同じ駅名ならば、乗り換え客にとってはわかりやすいですが、鉄道側にとってはそこから別の路線を利用されてしまうということにもなります。異なる名前にすることによって、少しでも利用客が乗り換えをしないようにしたいと思ったのかもしれませんね。そこまで深い考えはなくて、単純に京成と同じ駅名にしたくなかっただけなのかもしれませんけど…。

ここを乗り換え駅とすれば、例えば東武沿線の埼玉県方面から成田空港方面に向かったり、京成沿線の千葉県方面から日光や鬼怒川温泉に向かったりするのも便利だと思うのですが、両駅とも各駅停車しか停まらない駅であるため、現状ではそのルートもあまり現実的ではありません。

現在の東武スカイツリーラインは、都心に直接乗り入れる東京メトロ日比谷線や半蔵門線へのルートを利用する人が多くなっており、浅草~北千住間は支線のようになっています。また、京成本線も、朝夕の混雑時間帯には都心に直接乗り入れる都営浅草線への優等列車が多く、京成上野~青砥間を走る列車は各駅停車が多くなっています。このような状態になっているのですから、両社が手を組んでこの区間の活性化を考えたらいいと思うんですけどね。

京成関屋駅を出たところにあったコンビニエンスストアは「牛田関屋駅前店」となっていたそうですが、現在はなくなっていました。牛田駅側にあるハンバーガーチェーンは「牛田駅前店」、京成関屋駅側にある銀行のATMは「京成関屋駅前出張所」で、どちらも片方の名だけでした。両駅の名を名乗ったコンビニがなくなってしまった今、両鉄道会社の和解も遠いことなのかもしれないですね。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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