白井亨(しらいとおる)

~群馬県桐生市 分割された〝関東の西陣〟編~

2024.06.21

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

前回の訪問地栃木県足利市から電車に乗っておよそ15分。県境を越えてやってきたのは群馬県桐生きりゅう市です。ここは昔から絹織物の産地として知られていて、江戸時代には「西の西陣、東の桐生」と言われていたそうです。京都の西陣から高機たかはたという織物機を導入することで大きな発展を遂げたことから〝関東の西陣〟とも呼ばれています。西陣織といえば、リンスタのテキストにも載っているくらい有名な絹織物ですが、かつての桐生はそれと肩を並べていたんですね。

では、いつものように桐生市の位置を地図で確認してみることにしましょう。

桐生市があるのは群馬県の東部。県庁所在地のある前橋市からは直線距離で25㎞弱のところにあります。市内には、前回の足利でも紹介した渡良瀬川が流れ、北西の方向には赤城山がそびえています。

歴史のある桐生には、伝統的な建物が数多く見られます。
下の写真は桐生の町のあちこちで見られる〝のこぎり屋根〟です。この屋根は、明治時代から昭和時代にかけて建設された繊維工場のもので、かつての桐生には200棟以上あったそうです。このような形にしているのは、斜めになっている部分に窓を取り付けることで、工場内に光を採り入れるためです。時代の流れとともにその数は減っていったのですが、現在では様々な施設としてリノベーションされ、保存や利用が進んでいるそうです。貴重な産業遺産ですから、大切にしてほしいものですね。

また、下のモダンな建物は〝桐生倶楽部会館〟といいます。この建物がつくられたのは1919年のこと。時代は大正時代ですね。当時、繊維産業で栄えていた桐生には、多くの著名人などが集まってきました。そのような人々の社交場として建てられたのがこの桐生倶楽部会館だったのです。ここに集まった人々によって様々な事業が推進され、桐生の町の近代化も進められていったそうです。
この他にも、趣のある建物が数多くありますので、街歩きをするのも楽しいところですよ。

さて、もう一度最初の地図を見てください。桐生市を赤い色で示しているのですが、よく見るとちょっとおかしなことになっているのに気づいたでしょうか。赤い部分が東西2つに分かれてしまっています。「どっちが桐生市なんだ?」と思った人もいるかもしれませんが、両方ともまちがいなく桐生市なのです。つまり、この市は2つに分けられているってことなんですね。

では、桐生市のあたりをもう少し拡大してみましょう。

先ほどの地図と同じように、桐生市を赤色で示しています。そして、この2つの桐生市の間ある緑色の部分は〝みどり市〟という別の市です。まるで、みどり市が桐生市を2つに割いているように見えますね。なぜこんなことになってしまったのでしょうか。これはまちがいなく「?」ですね。

もともとの桐生市は地図の東側の部分だけでした。近隣には、現在のみどり市の部分となる笠懸かさかけ町、大間々おおまま町、あずま村、桐生市の西側部分となる新里にいさと村、黒保根くろほね村があり、これらの自治体が合併して1つの桐生市になるはずだったのです。
ブログの内容とは関係ないですけど、大間々町ってひらがなで書くとちょっとおもしろいですよね。
「お×2+ま×3+ち」!

…すみません。話を元に戻します。
この合併がうまくいかなかった原因は、桐生競艇場というボートレース場でした。桐生競艇場があったのは当時の笠懸町です。当時、この競艇場は赤字経営でした。市の財政も赤字であった桐生市は、競艇場を廃止する方針でした。しかし、競艇場に関わりの深い笠懸町は、この方針に真っ向から反対したのです。
結局、新里村、黒保根村が桐生市に、大間々町と東村は笠懸町に付くことでそれぞれが合併し、桐生市の間にみどり市が存在するというおかしな形になってしまいました。

2つに分かれた両市ですが、みどり市のごみはすべて桐生市にある清掃工場に持ち込まれ、消防・救急の業務も桐生市に委託しているそうです。人口も、桐生市が10万人強、みどり市が5万人弱と、桐生市のほうが2倍以上多くなっている上に、仕事の一部も桐生市に頼っているような状態であれば、もう一度合併して全部桐生市になってしまえばいいのではないかと思うのですが、そこにはいろいろと大人の事情(?)があるのでしょうね。

さて、桐生駅から高崎方面のJR両毛線に乗ると、次の駅は岩宿駅です。

岩宿といえば、歴史のテキストに載っている岩宿遺跡ですね。駅からは1㎞強とそれほど遠くはないので、途中下車して立ち寄ってみることにしました。
15分ほど歩いてやって来た岩宿遺跡は(あたりまえなのですが)テキストにも載っている写真と同じ姿で、付近にはこの遺跡を発見した相澤忠洋さんの像もありました。旧石器時代の風景とは異なるのでしょうけど、山や川も近いこの地は、狩猟や採集で生活していた人々には住みやすい土地だったのかもしれません。

下の地図を見てください。赤い線は2つの市の境を表していて、その東側が桐生市、西側がみどり市です。桐生駅から岩宿駅までの1駅の間に市境があり、岩宿遺跡があるのはみどり市のほうになります。先ほどの桐生競艇場も市境付近のみどり市側にあります。

あくまでも個人の見解ですが、このみどり市という地名を私はあまり好きになれないのです。地名というのはその土地の歴史や文化を表すものの1つです。みどり市の由来は〝みどり豊かな自然のあふれる美しい街並みの市〟なのだそうです。でも、そんなところは日本全国どこにでもあるわけで、この地ならではの理由ではないですよね。このような「もう少し慎重に考えて欲しかったなぁ」と思う地名は他にも存在しますが、その多くは合併をきっかけにつけられたもののようです。

「歴史的に重要な岩宿遺跡のある市の名は歴史あるものがいいなぁ…」
「だったらせめて岩宿市でもよかったんじゃないかなぁ…」
…おっと。うっかり心の声が漏れてしまいました💦

ちなみに、桐生という名の由来は、「桐の木が多く自生する土地」や「霧が多く発生する土地」という説、あるいは「きり」は開墾された土地、「う」を峡谷とする説などがあるようです。いずれにしても昔からの伝統ある地名であることは間違いなさそうです。
ただしこの地名、英語を話す国の人には「kill you」と聞こえてしまうことがあるそうで、もしそう聞こえてしまったらとんでもないトラブルになってしまうかもしれませんね(笑)

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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