白井亨(しらいとおる)

~栃木県足利市 三方は山、もう一方は…編~

2024.06.14

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

足利市は栃木県の南西部にあり、群馬県に隣接している町です。下の地図からは、南にある関東平野が、北にある山地と交わるところに位置しているということもわかります。県庁所在地の宇都宮市からは直線距離でおよそ50㎞、高速道路を使えば1時間程度で移動できます。

足利という地名から連想されるのが〝あしかがフラワーパーク〟という方。残念ながら私はあまり花には興味がありません(笑) 地理や歴史よりも花! という方は、ぜひ桑名先生ブログをどうぞ(笑)

閑話休題。やはり、足利という名から連想されるのは、室町幕府の将軍家となった足利氏ですね。

足利氏の祖となったのは、前九年・後三年の役で活躍した源義家の孫である足利義康という人物です。この人物が、この地に住むようになったことから足利氏を名乗るようになりました。
義康の子である足利義兼は、源頼朝に協力して勢力を伸ばし、鎌倉幕府の有力な御家人となりました。そして、義康から数えて8代目の尊氏が、征夷大将軍となって室町幕府を開くのです。

日本の歴史には3つの幕府が存在しますが、みなさんは「幕府」と聞くとその3つのうちのどれを思い浮かべるでしょうか?
最初の幕府ということから、源頼朝が開いた鎌倉幕府を思い浮かべた人は多いと思います。また、長い期間続いた最後の幕府ということから、徳川家康が開いた江戸幕府を思い浮かべた人も多いと思います。
ところが、今回の話題となる足利氏の室町幕府はどうでしょうか? 江戸幕府は約260年、室町幕府は約240年ですから、続いた期間も大差はありません。また、前述した通り足利氏は源氏の一族ですから、その家柄も申し分ありません。でも、「幕府」と聞いてまず室町幕府を最初に思い浮かべる人はおそらく少数派でしょう。

足利の町には、室町幕府を開いた足利尊氏の像(下の写真)がありました。
このような立派な像があるのですが、幕府の存在だけでなく、初代の将軍も知名度としても、頼朝や家康と比べると、尊氏は一歩及ばない感じがします。もっとも、それは尊氏の責任というよりは、その後の将軍たちの責任のような気がします。室町時代の後半の約100年間は戦国時代ですからね。名だたる戦国大名の中で、足利氏の影が薄くなるのはやむを得ないでしょう。

ところで、昭和世代の方はこの像を見てなんとなく違和感を覚えるかもしれません。
ひと昔前の教科書には、馬に乗った尊氏の絵が載っていました。戦いの場で描かれたのかもしれませんが、兜をかぶっておらず、髷も結っていません。また、よく見ると背中にある矢が折れているのもわかります。まるで戦いに敗れた落ち武者のようです。
征夷大将軍ともあろう人物をこのような姿で描くでしょうか? …という疑問は近年の研究の結果解決され、この絵は尊氏のものではないということがわかった結果、今の教科書には載らなくなりました。
足利尊氏は、後醍醐天皇と対立して室町幕府を開きます。実は、戦前の価値観では、尊氏は天皇に逆らった大悪人とされていたのです。そう考えると、昔の教科書に載っていたあの絵は、なんとなく尊氏に対しての悪意を感じますね。あくまでも個人の考えですが、南北朝の争乱の原因は後醍醐天皇の頑迷さにあると思います。

足利氏がこの地で勢力を伸ばしていた鎌倉時代といえば、武士の時代が始まった時代です。その時代を切り開いた源頼朝は、歴史上の人物の中でも特に重要な人物の1人ですね。
リンスタのテキストにも頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由というのが書かれています。いくつかあるその理由のなかで最初に出てくるのは「鎌倉は三方を山,一方を海に囲まれた守りやすい地形でした」という一文です。武士は戦いを日常としていますから、武士の都である鎌倉もそれに備えたものでなければいけません。山と海に囲まれていて、守りやすく攻めにくい地形の鎌倉は、武士が拠点を置くのにとても都合がよかったということです。

ここで、話題を足利に戻しましょう。

下の地図を見てください。地図中の鑁阿寺ばんなじは、かつての足利氏の館があったところです。その周辺は、現在の足利市中心部になるのですが、足利の町の北・東・西の三方向には山がそびえていることがわかります。山は防御ラインとなって敵の侵入を阻みます。また、南には渡良瀬川があり、これも敵を防ぐ役割があるのでしょう。上流にダムのなかった昔は、水量も多かったでしょうし、流れももっと複雑だったかもしれません。堤防によって整えられた現在の川に比べると、渡るのが困難だったのではないでしょうか。この渡良瀬川を防御ラインだと考えると、なんだか鎌倉の町のつくりと似ていませんか?

この足利も、「三方を山、一方を川」に囲まれた、武士の拠点としてふさわしい地形だったのです。
足利氏が現れた平安時代は武士の興った時代でもあります。武士はもともと、自分たちの土地や財産を自分たちの手で守るために武装した勢力ですので、このような土地を本拠地として戦いに備えたのは当然のことなのです。また、鎌倉時代初期には、武士どうしの勢力争いも頻発しています。頼朝が弟の範頼や義経を滅ぼしたのはよく知られている話ですし、その後幕府の中心となった北条氏の手によっても、比企能員、畠山重忠、和田義盛など、頼朝に協力したことで力を持った多くの武士が滅ぼされています。そんな状況ですから、戦いへの備えは重要です。一族の安全を保つためにも、この足利の地形は有効だったのでしょう。

足利の町をもう少し詳しく見ていきましょう。

渡良瀬川を挟んで、JR両毛線の足利駅と東武鉄道の足利市駅があるのですが、今回は東武鉄道を利用しました。川の南にある足利市駅から町の中心部に行くには渡良瀬川を渡る必要があります。私は少しだけ遠回りをして、ちょっと切ない歌詞の歌で知られる渡良瀬橋を渡ってみることにしました。橋の近くには歌の歌詞を刻んだ碑もあるのですが、それは川沿いの道路の脇にポツンとありました。「なんでここなんだろう」と最初は思ったのですが、そこからは渡良瀬川と渡良瀬橋を西に見ることができ、その方向を見ればおそらく歌詞の通りのきれいな夕日も見えるのだということに気づきました。

渡良瀬橋からは高台にある織姫神社に向かって、足利の町を少し高いところから眺めてみることにしました。息を切らして階段を上って見た景色が下の写真です。

真ん中あたりにある四角い森が、これから向かおうとしている鑁阿寺(足利氏館跡)です。その左側の奥には山が連なっているのが見え、こちら側の山との間に足利の町が挟まれている様子がわかります。また、この写真では木の枝が邪魔をしていてわかりにくいですが、右奥には広大な関東平野が遥か先まで続いています。ここを拠点に関東に勢力を広げた足利氏一族の気持ちがよくわかるような風景でした。
ちなみに、織姫神社から北へと続く山の名は「両崖山」といいます。このいかにも険しそうな山の名からも、敵の侵入を防ぐのに適した場所だということがわかりますね。

山を下りて鑁阿寺に向かいます。
武士の館らしく、その周囲は下の写真のような堀と土塁に囲まれています。この感じは、以前のブログ(山梨県甲府市・笛吹市 武田信玄とその父信虎編)で紹介した山梨県甲府市の武田神社に似ています。武田神社も、かつては武田氏の館があったところでした。

鑁阿寺は、足利氏の氏寺になっていて、本堂は国宝にも指定されています。その他の建物もとても立派で見ごたえがあり、境内には樹齢650年の見事なイチョウの木もありました。葉の色づく季節に訪れたら、さぞ見事なことでしょうね。

歴史の教科書には、もう1つの足利の名がつくものが載っています。それが「日本最古の学校」として知られる足利学校です。日本にキリスト教を伝えたことで知られるフランシスコ・ザビエルも、「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と記しているそうです。

日本最古といいますが、足利学校がいつできたかについては諸説あり、はっきりはわかっていないそうです。おそらく、足利氏がこの地にやって来てからのことだと思うので、早くても平安時代の後期ということになるのでしょうね。教科書に書いてある記述では、「1439年に上杉憲実によって再興された」というものがよく知られているので、それよりも前というのも間違いなさそうです。

前述した通り、足利氏は鎌倉幕府の有力御家人で、しかも源氏の子孫の一族だということです。鎌倉幕府を率いた北条氏は、足利氏のことを警戒していたはずです。その警戒を逸らすために学問などの文化的なことに力を入れ、足利学校も作ったと考えるのは不自然でしょうか。
江戸時代の外様大名のなかにも、文化的なことに力を入れることで幕府の警戒の目を逸らしたという例がありますよね。最大の外様大名だった加賀百万石の前田氏は文化振興に力を入れ、それが現在の金沢の工芸品づくりに繋がっているといいます。足利学校もそれと同じだと考えることができないでしょうか。
一族が生き延びるためには、北条氏から警戒されないということが必要です。だとすれば、足利学校をつくったのは、学問に力を注ぐ様子を見せて北条氏の目を逸らすことが目的だった…と考えることもできます。そうすると、足利学校ができたのは幕府の権力争いが激しかった鎌倉時代初期(?)…ということになるのかもしれませんね。

で、ここまで書いていて気づいたんですけど、「足利」って実は難読地名ですよね。教科書に載っているものということもあり、今まであまり意識していませんでした。その由来については諸説あるようですが、気になった人はぜひ調べてみてください。

足利の町をひと通り探訪した後はJR足利駅に向かい、電車に乗って次の目的地に向かったのです。それについては、また次回以降のブログで…。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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