白井亨(しらいとおる)

~東京都台東区 鶯の鳴く谷はどこ?編~

2024.06.07

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

JR山手線には30の駅がありますが、そのなかで最も乗降客数の少ない駅は、2020年に開業した高輪ゲートウェイ駅です。ただし、この駅の周辺はまだ開発途上で、今後の乗降客数は増えていくはずですから、最下位と決めつけるのにはちょっと問題がありそうです。そうすると、2番目に少ない駅が、実質的に山手線で最も利用されていない駅と考えられるのですが、それが今回取り上げる鶯谷うぐいすだに駅です。

鶯谷駅は、上野駅、日暮里駅というターミナル駅に挟まれていて、他の路線との乗り換えもありません。ちなみに、鶯谷駅に次いで乗降客数が少ないのは、田端駅、目白駅となっており、やはりどちらの駅も他路線への乗り換え駅ではありません。

下の写真は、鶯谷駅南口のもので、近くには徳川将軍家の菩提寺として有名な寛永寺や東京国立博物館もあります。ただ、これらの場所に行くのに鶯谷駅を利用する人は少ないでしょう。実は私も鶯谷駅で下車したわけではなく、上野駅の公園口からゆっくりと歩いてここに辿り着きました。記憶を辿っても、おそらくこの駅で改札を通ったことはないと思います。

そんな地味な印象の鶯谷駅ですが、駅名の美しさでいえば、山手線の30の駅のうちで最上位ではないかと思います。昔は、鶯が美しい声を響かせているような趣深い谷の風景があったのでしょうね。ところが、地図を見てみると1つの「?」に気がつきます。

下の地図を見てください。鶯谷駅に「谷」はないのです。
谷を辞書で引いてみると「地表にできた狭くて細長い窪地」と書いてありました。駅の東側には広い低地が広がり、西側は台地になっていて、駅の近くには谷の地形は見つけられません。むしろ、ここは崖と言ったほうがよさそうです。鶯の生態まではよく知りませんが、崖に響く〝ホーホケキョ〟というのはあまりイメージできないような気がします。いったい鶯の鳴く谷はどこにあるのでしょうか?

まず鶯谷の地名の由来について色々と調べてみました。すると、どうやら寛永寺にゆかりがあるというのがわかってきました。江戸時代に、寛永寺の住職を務めていたのは京都からやって来た皇族でした。将軍の菩提寺ということで身分の高い僧がわざわざ来ていたんですね。そのなかの1人が「江戸の鶯はなまっている」と言って京都から鶯を運ばせ、この地に放したことから鶯の名所になったとのこと…。「訛っている鶯の鳴き声ってなんだよっ!」…と突っ込みたくなるような話ですが、この話だけではその谷の場所はわかりません。そこでさらに調べていったところ、霊梅院という寺の近くに谷があり、そこが鶯の名所だったという話です。
ここまでわかったらもう行ってみるしかないですよね。

訪ねてみた霊梅院は、人通りのある道路から奥まったところにひっそりとありました。ただ、周囲には住宅が密集していて、地形を目で確かめることはできませんでした。そこで、この周辺の地形を地図で見てみることにします。

確かに、霊梅院の西側は谷になっていますね。ここが鶯の鳴く谷なのでしょうか。でも、ここだとしたら、今度はもう1つの「?」が生まれてきます。
霊梅院の位置と鶯谷駅の位置を比べてみてください。霊梅院は台地の西側、駅は台地の東側にあって、距離も離れています。むしろ日暮里駅のほうが近くにありますね。もちろん、空を飛ぶことのできる鶯の行動範囲は広いでしょうから、駅の近くで鳴き声が聞こえていたとしても不思議ではありません。

さらに地図を眺めていたら、もう1つ気づいたことがありました。どこを探しても鶯谷という住所はないのです。念のため確認したところ、鶯谷駅の住所は東京都台東区根岸一丁目となっていました。根岸というと、昭和の爆笑王として知られる故林家三平さんが有名です。また、俳人正岡子規が晩年を過ごした場所で、鶯谷駅近くの根岸小学校には「雀より鶯多き根岸かな」という句碑もあります。昔からある根岸という地名が駅名になっても、何の問題もなさそうですが、なぜ住所にもなっていない鶯谷が駅名に採用されたのでしょうか?

おそらく、冒頭に書いた寛永寺と上野公園がそのカギではないかと推測します。
ここに駅を設けたのは、もちろん東側にある根岸などに住む人たちに利用してもらうということもありますが、西側にある寛永寺や上野公園への行楽客の利用というのもその理由の1つだったのではないでしょうか。地元の人たちは近くに駅があれば利用しますが、行楽客に利用してもらうには何かアピールするものが欲しいですね。根岸という駅名ではその役割は担えません。風光明媚な雰囲気の鶯谷であれば、行楽に行こうとする人たちの目を引くこともできると考えたのだと思います。

ただ、残念ながらその思惑が実現したとは言えないようです。やはり上野公園や動物園、博物館に行く人たちの多くは上野駅を利用しているのですから。また、東側にある住宅地に住む人たちの利用も、その後の東京メトロ日比谷線入谷駅開業によって分散されてしまいます。その結果、実質的に乗降客数の最も少ない山手線の駅になってしまったというわけです。

さて、この付近の地図のなかにもう1つ気になるところを見つけました。
霊梅院から坂を下りて南の方角に、不自然にくねくねと曲がっている道があります。せっかく近くまで来ているのに訪ねないという選択肢はありませんね。

この道は、通称「へび道」というそうです。
訪ねてみたへび道は、その名の通りくねくねと曲がっていました。道の左右は住宅が密集しているのですが、下の写真はたまたま工事中の場所で、手前から奥の方に向けてS字を描いている様子がよくわかると思います。とても風情のある風景ですが、生活する人にとっては不便でしょうね。特に、自動車での通行はなかなか難しそうです。

こういう道ができた理由は1つしかないですね。おそらくここには川が流れていたのでしょう。調べてみたところ、ここにはかつて藍染川という川があったそうです。今は暗渠となっているこの場所に川が流れていたとすると、鶯の鳴く風景にもう1つ趣深いものが加わりますね。谷を流れる小川があり、その周囲には鶯の美しい声が響いている。川の流れゆく先には不忍池があり、きっと今よりも澄んだ水を湛えていたことでしょう。

今となっては想像するしかないですが、町並みやその地名から見えない風景を見てみるというのも街歩きの楽しみの1つなのです。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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