白井亨(しらいとおる)

~東京都江戸川区 船のエレベーター編~

2023.11.07

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

リンスタで使用している小6前期のテキストに次のような記載があります。
「現在,世界でおこなわれている貿易のほとんどは船による海運でおこなわれています。太平洋・大西洋・インド洋の三大洋と,それをつなぐスエズ運河・パナマ運河の二大運河は,世界の物流にとって重要なものです。」

スエズ運河は地中海と紅海を結ぶ運河で1869年に完成しました。一方、パナマ運河は太平洋と大西洋を結ぶ運河で1914年に完成しました。これらの運河の開通によって、それまでの大陸南端を大きく迂回するルートよりも大幅に距離・時間が短縮されました。
世界の物流に大きく貢献している2つの運河ですが、スエズ運河はほぼ平らなのに対し、パナマ運河には26mもの高低差があるのです。このような場所にあるパナマ運河を、船はどのように通過していくのでしょうか?

水位の異なる河川や運河で船を通過させるためには「閘門(ロックゲート)」という施設が必要になります。
下のイラストを見てください。右側の水門を境に高さの異なる水面があり、ここを船が進んできます。

船を通行させる手順は、次のようになります。
 1.左のほうから高さの低い水面を進んできた船は一度閘門のなかに入ります。
 2.船が閘門に入ると左側の水門を閉じます。
 3.閘門のなかに水を注入して閘門内の水面を高いほうに合わせます。
 4.右側の水門を開いて船が進んでいきます。
要するに船のエレベーターみたいなものですよね。パナマ運河にはこのようなしくみの閘門が3か所設けられていて、26mの高低差を巨大な船が通過していくのです。

「街から学ぶ」というタイトルのこのブログなのに、なんで遠いパナマのことを詳しく書いているんだろうと思った方もいるかもしれませんが、実はこの閘門というしくみ、日本でも見られるんです。しかも東京都内で!
それが今回紹介する〝荒川ロックゲート〟です。

上の地図を見てください。この地図は色によって標高を表していて、緑色のところよりも青色のところのほうが低くなり、青色が濃くなるほど低くなります。荒川ロックゲートの両側を見比べてみてください。東側を流れる荒川は薄い青色なのに対し、西側を流れる中川や小名木川は濃い青色で表されています。つまり、荒川の水面よりも中川や小名木川の水面のほうが低いということですね。その高さの差は、最大で3.1mにもなるそうです。この高さの違う水面を船が行き来するために、閘門が必要になっているということですね。

実際に荒川ロックゲートを見に行ってきました。
荒川側にある水門は中に入れるようになっていましたので、階段を上って水門の上のほうから両側の水面を見てみたところ、明らかに高さのちがいがあることがわかりました。上の写真が東側、下の写真が西側です。2枚の写真は同じ高さのところから撮っています。
どうでしょう? 水面の高さが異なることがわかりますか?

荒川ロックゲートが完成したのは2005年のことで、これによって荒川と隅田川の間が、小名木川を通じて結ばれることになりました。
小名木川は、江戸時代の初めに徳川家康の命令によって築かれた人工河川です。そもそもの目的は、現在の千葉県市川市にあった行徳塩田でつくられた塩を江戸の町に運ぶことでした。でも、海水から塩をつくる塩田は海沿いにあるものだし、江戸の町も海に面しています。そのまま東京湾を通って運べばいいと思うのですが、なぜわざわざ人工の水路を築く必要があったのでしょうか?

以前のブログで、谷津干潟のことを書きましたが、それを読んでいた人はピンときましたよね?
東京湾(当時は江戸湾)には多くの河川が流れ込んでいるため、それらの河川が運んできた土砂によって干潟がたくさんあったのです。干潟は干潮のときには陸地になってしまうので、船の通行はできません。海岸線に干潟がたくさんあったとしたら、船は沖合をぐるっと迂回しなければなりませんね。また、当時の船の性能を考えても、海を通るよりは川を通したほうが安全です。

やがて小名木川は、塩以外の物資の輸送もおこなわれるようになりました。また、江戸から成田山新勝寺へ向かう成田詣りの人々も、小名木川を通って行徳まで行き、そこから陸路を使うようになりました。江戸時代の小名木川はさぞ賑わっていたことでしょうね。

その後、上の地図のように、小名木川の周辺には水路が縦横に整備されていきます。明治時代になると、これらの水路がこの地域の工業発展の原動力となります。
ところが、工業の発展は思わぬマイナスをこの地にもたらします。工業用水として使用するため地下水が大量にくみ上げられたことで地盤沈下が起こったのです。地図を見ても、濃い青色のところがとても多くなっていますよね。いわゆる「ゼロメートル地帯」ですね。地盤沈下によって船の通行に支障が生じるようになったことと、鉄道や自動車などの交通機関が発達したことにより、次第に水運は使われなくなっていきます。

船の通行がなければ川の高低差は問題にならず、閘門も必要ないはずですが、どうして荒川ロックゲートが必要になったのでしょうか?

その答えは「防災」です。
ゼロメートル地帯は災害時に道路など陸上の輸送路が大きな被害を受ける可能性があります。都心近くを流れる大河川である荒川の下流には、災害からの復旧活動のための拠点や物資の輸送ルートを確保するということを目的に緊急用船着場が多数設けられています。これらを拠点として、災害物資の運搬や被災者の救助などをスムーズにおこなうためには、この地域の水路と荒川の間の高低差がネックになります。そのために築かれたのが荒川ロックゲートだったのです。

もう一度先ほどの地図を見てください。小名木川の西と東で高低差があることがわかりますね。もし、陸地の高低差があるのに川の水面の高さが変わらなければ、水面より低いゼロメートル地帯は水害が起こりやすくなってしまいますね。そのため、小名木川の水面の高さは途中で変化しています。船が通過するにはまた閘門が必要で、水面の高さが変わるところに設けられているのが地図中の扇橋閘門です。つまり、荒川と隅田川の間を通行するには、2つの閘門を通り過ぎなければならないということなんですね。

2005年に完成した荒川ロックゲートは、2011年に東日本大震災の揺れに見舞われます。災害に備えてつくられたロックゲートには、修理を必要とするような被害はなかったそうです。下の写真を見ても、かなり頑丈そうな建物ですよね。でも、できればこのロックゲートが必要な災害が起こらないことを祈りたいです。

荒川ロックゲートを通過してみたいなぁと思った人、観光船などでここを通れるものもあるみたいですよ。興味があったらぜひ検索してみてください。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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