~東京都千代田区番町 江戸幕府由来の地名編~
2023.04.07
みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。
首都圏の私立中学校には「御三家」とよばれる最難関校が、男女それぞれに存在します。
男子御三家が「開成中・麻布中・武蔵中」、女子御三家が「桜蔭中・女子学院中・雙葉中」というのは、みなさんも聞いたことがあるでしょう。
これら6つの学校のうち、リンスタと同じ千代田区内にあるのが、女子学院中と雙葉中です。
女子学院中は、対策ゼミの担当を長いことしていたこともあり、この校舎の前で数多くの受験生を応援してきました。合格発表の日もここで受験生たちを迎え、合格した生徒の最高の笑顔は今でも1人1人はっきりと記憶しています。女子学院は東京メトロ有楽町線の麹町駅からすぐのところにあるんですが、ここの住所は「東京都千代田区一番町」となっています。
雙葉中も、過去に何度か受験日の朝に立っていたことがあります。お嬢様学校のイメージが強い雙葉ですが、私の知っている過去の合格者は、意外に元気なタイプの生徒が多いんです。雙葉はJR中央線四ツ谷駅のすぐ近くにあるんですが、ここの住所も「東京都千代田区六番町」で、女子学院の住所と何か関係がありそうです。これは「?」ですね。
地理院地図で確かめてみたところ、2つの学校の周辺には「〇番町」という地名がたくさんあることがわかりました。この地名の由来が気になって調べてみたところ、江戸幕府に起源があることがわかりました。
徳川将軍家直属の家臣のうち、石高1万石未満(1万石以上だと大名になる)で、将軍に直接会うことができる資格を持つ武士のことを旗本といいます。その旗本のうち、将軍を直接警護するものを「大番組」と呼び、大番組の住まいがあったことから「番町」と呼ばれるようになりました。大番組は、一番組から六番組まであって、それが現在の住所に反映されているそうです。
江戸時代の古地図をみると、番町の範囲はもう少し南北方向に広いようですね。外堀と内堀に挟まれた範囲というのはほぼ同じなのですが、北は現在靖国神社があるあたり、南は現在の新宿通りのあたりまでに番町という表記が見られます。将軍の直接警護をするわけですから、おそらく幕府のなかの最精鋭部隊なんでしょうね。
江戸城の表門というと東側にある大手門だと思うのですが、番町があるのは江戸城の西側です。最精鋭部隊ならば表門のほうに配置したほうがよさそうですが、何か理由がありそうですね。
今度は、もう少し広い範囲を高低差のわかる地図で見てみましょう。
番町の南側には、江戸城の半蔵門と、そこから西に向かう新宿通りがあることがわかります。
半蔵門は、江戸城の表門である大手門の反対側の位置にあります。また、新宿通りはやがて甲州街道と名を変え、山梨県方面へと伸びています。江戸時代の甲府は幕府の直轄領で、江戸城が攻められたとき、将軍は半蔵門から脱出し、甲州街道を通って甲府城に避難することになっていたと言われているのです。
地図ではわかりにくいですが、番町方面から新宿通りに向かっては上り坂になっています。旗本たちは、少し低いところから、将軍が行き過ぎるのを守ることになります。
また、新宿通りの南側には「紀尾井坂」という地名があります。この坂の名は、江戸時代に紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があったことに由来します。徳川御三家のうちの2つと、譜代大名筆頭の井伊家がここにいるということから、こちらの警備も万全の態勢がとられていることがわかります。南側も下り坂になっているので、将軍はいちばん高いところにある道を、南北両側から守られながら避難できるということです。坂の上に向かっては攻めにくいですから、新宿通りまで攻め上るのは容易ではなく、将軍は悠々とこの道を進むことができそうですね。どんなことがあっても将軍の安全だけは絶対に守るという強い意志が伝わってくるようです。
このあたりの新宿通り沿いは麹町という地名になっています。この地名の由来には、このあたりに入り組んだ「小路」が多かったからという説と、米や麦などの穀物などを発酵させた「麹」を扱う店が多かったからという説があるそうです。
防衛のために道を複雑にするというのは、他の城下町でも見られることです。私は「入り組んだ小路」という説に1票ですかね…。
「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。
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