~東京都千代田区・台東区 秋葉原と秋葉神社編~
2023.02.13
~東京都千代田区・台東区 秋葉原と秋葉神社編~
みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。
ここ秋葉原は、昭和の時代は電気街、令和の今はサブカルチャーの街として知られています。
その電気街にしても形成されたのは太平洋戦争後で、さらに昔は青果市場がある街だったとのこと。青果市場なんて、今の秋葉原の様子からは想像もできませんよね。秋葉原は、時代ごとに大きく変化し続けている街なのです。
さて、秋葉原のことを略して「アキ『バ』」と言いますよね。地名は「アキ『ハ』バラ」なのですから、本来は「アキ『ハ』」のようにも思えるのですが、なんで濁点がつくんですかね?
…ということで、秋葉原の地名の由来について調べてみました。
明治時代の初め頃にこの地域で大きな火災があり、現在の秋葉原駅周辺は火除地とよばれる大きな空き地となりました。そこに火災防止の力があると言われる神を祀った鎮火社という神社を建立します。ところが、古くから江戸では火防の神として秋葉権現が広く信仰されていたため、鎮火社にも秋葉権現が祀られていると思い込み、日除け地の空き地のことを「秋葉の原」などと呼ぶようになったそうです。
鎮火社があったのは現在の秋葉原駅がある場所で、駅の開業に伴って台東区に移転しました。それが下の写真の秋葉神社です。ちなみに秋葉神社の読み方は「あき『ば』神社」です。神社の入り口付近にあるローマ字表記も、確かに「AKIBA」となっていました。そうすると、やはり秋葉原の読み方は「あき『ば』はら」が正しいんじゃないのか…と思いますよね。
今度は秋葉神社について調べてみることにしましょう。
なんと、秋葉神社という名の神社は、北海道から沖縄県まで全国各地にあるのです!
そして、これらの秋葉神社信仰の起源とされているのが、静岡県浜松市にある秋葉山本宮秋葉神社で、その読み方は「あき『は』さんほんぐうあき『は』じんじゃ」だそうです。本家は「AKIHA」なんですね。これならば「アキ『ハ』バラ」という地名にも合点がいきます。
では、なぜ「アキ『ハ』」が「アキ『バ』」に変わったのでしょう?
これにはいくつかの説があるそうなんですが、江戸の下町訛りという説がいちばん腑に落ちました。江戸ことばというのは威勢のいいものですから、最後になんとなく力が抜ける「あき『は』」よりも、力の入る「あき『ば』」のほうがふさわしい気がします。
落語などでよく出てくる「べらぼうめ」というのも、語源をたどれば「へらぼう=ヘラの棒」だそうで、ヘラの棒は穀物をつぶすときに使う=ごくつぶし=無為徒食の者が転じて、相手を罵倒する言葉になったそうです。確かに、濁らずに「へらぼうめ」では締まりませんね(笑)
おそらく江戸っ子たちは「秋葉の原」のことを、威勢よく「あきばっぱら」とでも言っていたのでしょう。さすがにそれを駅名にはできないので「あきはばら」に落ち着いたのです。「あき『ば』はら」にしなかったのは、単に言いにくいからだと思います。「あき『は』ばら」「あき『ば』はら」…言い比べてみてください。どうですか、「あき『は』ばら」のほうがしっくりきませんか?
秋葉原駅から秋葉神社に向かう途中には、もう1つ秋葉神社がありました。
こちらは、佐竹秋葉神社。日本で2番目に古い商店街として知られる佐竹商店街の近くにある神社です。こんな近い距離で秋葉神社が複数あるんですね。
もしかしたら、みなさんの住む地域にも、秋葉神社があるかもしれませんよ。探してみてはいかがでしょう?
「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。
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