~東京都千代田区 神田猿楽町編~
2022.08.19
みなさんこんにちは。リンスタ社会科担当の白井です。
前回の続き・・・。
関東大震災より前の大きな地震といえば、1855年に起こった「安政江戸地震」というのがあります。この地震では、坂の下の地域と同じ地盤と思われる水戸藩邸(現在の小石川後楽園があるところ)が倒壊し、死者も出ています。大きな被害が出ているのですから、このときにも坂の建設を求める声があったのではないでしょうか。それなのに、なぜつくられなかったのか・・・・。
それを考えるために坂の下のあたりを歩いていると、壁に貼ってある「神田猿楽町」という住所表示が目に入ってきました。
「猿楽」というのは今でいう「能楽」のことです。今でこそ無形文化遺産に登録され、日本を代表する芸能の1つである能楽ですが、かつて芸能に関係する人々はとても低い身分とされていました。
能楽の創始者といえば観阿弥・世阿弥父子ですが、もちろんこれは本当の名ではありません。この父子を保護した足利義満は時の最高権力者です。そのような身分の高い方に、身分の低い者が会えるはずがありません。そこでこの名です。「阿弥」といえば「阿弥陀仏」がつながります。この名は「僧」が名乗るものなのです。僧は身分社会の外にいる存在ですので、この名を名乗ることによって、身分に関係なく接することができます。それくらい身分というのは重要だったのです。
また、坂の上の「神田駿河台」という地名。諸説あるようですが、駿府(現在の静岡市)から江戸に移り住んだ徳川家康の家臣が住んだことに由来するとか・・・。いずれにしても、身分の高い人が住んでいたと考えられますね。江戸時代といえば厳格な身分社会です。高い身分が住む地域と低い身分が住む地域を結ぶなどということは、きっと許されなかったのでしょう。そもそもそんな発想すらなかったのかもしれません。
どうでしょうか? あくまでも私が考えたことですから、正しいかどうかはわかりません。でもそれでいいと思います。「?」を知ることも大事ですが、「?」を考えることはもっと楽しいんですよ。
「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。
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