熊代大地(くましろだいち)

『1001は眼鏡の日』

2022.10.29

はいどーも!熊代です。

リンスタ高校入試の先生たちは、眼鏡率が高いですね笑

101日は「 1001 」という見た目から、眼鏡の日となったそうです。
日本の眼鏡といえば、福井県鯖江市!メガネフレームのシェア率96%なのだそう。

最近では、UVカットもさることながら、
パソコンやスマホの画面から出る「ブルーライト」をほぼ完全に除去するものや、
光にしばらくあてているとサングラスに変身するものなんかもあるそうです。

本当に技術の進歩はすさまじいものがありますね。

さて、この記事を書いているのはそれから1週間後の108日です。
この日は「十三夜」で、9月にあった「中秋の名月」に並ぶ名月の日でした。

私は小学生のころ、毎年の誕生日には理科の実験道具を買ってもらっている時期がありまして、
顕微鏡や天体望遠鏡が家にありました。
(顕微鏡は未だに現役で、たまに授業にも登場させるなどしています笑)

天体望遠鏡は小学校を卒業するころにはダメにしてしまって、
あまりたくさんの観測ができなかったのですが、
月面をみたときの感動は、いまもなお忘れられません。

 

…え?

眼鏡の話だったり望遠鏡の話だったり、話がまとまっていないって?
そんなことないですよ。この2つの話題にはとても大きな関連があるのですから。

 

時は遡って1610年。日本では江戸時代に入ってすぐの頃。
イタリアではガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei 1564~1642)が、
地球上の人類として初めての本格的な天体観測を行い、その記録を世界に発表しました。

天体望遠鏡の出自にはかなり様々な逸話があります。
1608年にオランダで特許が申請されたことが最も古い正式な記録のようですが、
ガリレオはなんと、その「特許の噂」から、天体望遠鏡を自作してしまったそうです。

その噂というのは、「特許を申請したのが眼鏡屋である」ということです。
眼鏡屋ではもちろん、たくさんのレンズを扱っています。
ガリレオもその話を聞きつけ、「レンズを2枚組み合わせて遠くのものを拡大して見る」、
望遠鏡を作り上げたのです。

※その眼鏡屋は眼鏡屋で、たまたま訪れた客が「レンズを2つ使って窓の外を見た」
 という様子を見て、もしやと思い望遠鏡へと着想したそうです。
 いやいや、その客は一体何者だったのか…笑

その後ガリレオは、金星が観測する日によって大きさを変えることを発見しました。
これは古代ギリシャのアリストテレスらが唱えた「天動説」を覆す、
大きな証拠となったわけです。

しかし、当時は「地球が太陽のまわりをまわっている」などという説は受け入れられず、
1616年には異端者として宗教裁判にかけられます。

そのときは地動説を唱えないように!と注意を受けるだけに留まりましたが、
1630年になると、地動説の解説書として『天文対話』を執筆。
これが決め手になり、1633年2回目の裁判で終身刑を言い渡され、
以降は軟禁状態での生活を送ることになりました。

※これはこれで結構複雑な経緯があって、地動説に関しては「口実」に過ぎなかったとも言われます。
 かつての天才科学者たちは、様々な時代の流れに巻き込まれてしまう運命だったのでしょうか…。

この裁判で出た名言が「それでも地球は動いている」というもの。
それがたった400年もしない間に、学校教科書で「普遍の事実」として
学習することになっているのがまたなんとも言えないですよね。

眼鏡屋に訪れた謎の人物の行動から始まった天体望遠鏡と「地動説」の歴史。
いかがだったでしょうか。

秋の夜長で、ここからまた夜を楽しめる季節となります。
暑かったり寒かったり大変なので、体調管理にも気を付けながらではありますが、
皆さんもぜひ、「眼鏡」と「宇宙」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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